高安動脈炎患者のブログ

高安動脈炎になった30代会社員👩🏻‍💼のブログです。

病気発覚前〜発覚後のメンタル

前回記事で発覚までの道のりを書きましたが、今日は7ヶ月間原因を精査してる間、高安動脈炎という病気、と先生から言われた時、プレドニンを飲み始めて暫くした頃の自分のメンタルの浮き沈みについて書こうと思います。

 

発熱が始まったのは2021年2月末、当時引越し後だったので、きっと疲れて熱が出たのだろうと軽く考えていました。繰り返す扁桃腺の腫れと、37.5°以上の微妙な発熱が2週間続き、これは流石におかしい?と思い医者の友人にも相談して病院に行きました。

 

CRP/赤沈値の上昇、肺の炎症の跡は見つかったものの、原因が分からず、1ヶ月に1回の通院で経過観察を続けていました。リモートワークでフルタイムで働いていて、微熱や倦怠感が毎日あったものの、原因がわからない以上周りに説明もつかないし、原因が分かったとして人に感染する病気ではなさそうだったものの、コロナ禍で発熱したまま人にも会いにくい、、、どこまで行動して良いのかもよく分からない、、、ということで基本的には引きこもっていました。

 

仕事も発熱すると頭がぼんやりしてパフォーマンスが落ちるのは勿論、倦怠感で頑張りきれない自分に対して自己嫌悪になってしまい、それでも理由は分からないし言い訳しちゃいけない、と思いながら一日一日のことだけを考えて働いていました。毎日仕事→休憩はソファの上で死亡を繰り返して、ずっと頭がぼうっとしてました。(多分稼働力が落ちて周りに迷惑はかけていたと思う。。)

 

自分の身体がどうなってしまうのか、不安で時々塞ぎ込んだり、まぁ微熱だし死ぬわけじゃないだろう、とポジティブに考えみたり、波がありました。理由がよく分からない、というのは結構怖いものです。

 

段々謎の微熱が出る日常に慣れてきた頃、PET-CTの検査結果を聞きに行き、先生の口から『高安動脈炎の所見あり、ですね。早く膠原病内科にかかって治療始めた方がいいですよ。入院も必要かも。』と言われた時は、頭の中が???。すぐネットでググり、原因不明の難病で、血管が狭窄する、と知った時は、怖くて、病院のお会計に並びながらハラハラと涙をこぼしてしまいました。

(その後炎症がある血管は一部で狭窄も進んでおらず、入院も不要、自分は軽症の部類と分かりました。)

 

病気への理解を進めるため、ガイドラインや本、論文、ネット上に転がっているありとあらゆる情報に目を通しましたが、どうしても理解できなかったのが、この病気が原因不明である、という点。ありとあらゆる物事には原因があるはずなのになぜ現代の医療をもってしても原因が解明されていないのか!?もしかして、自分の若い頃の狂った生活スタイルで身体に負担をかけたせい?等等、疑問が頭の中を常に駆け巡っていました。

 

自分は軽症の類とはいえ、ステロイドの副作用の欄に羅列されている症状は不安を煽る様なものばかり(抜け毛、男性化、骨粗鬆症、糖尿病、鬱etc)。自分の見た目が自分のコントロール外のことで変わる恐怖に襲われ、糖尿病にならない様に食べる物にも気をつけなければいけないと狂った様に3食自炊をし、かなり神経質になっていました。と思えばコンビニに走り出して泣きながらお菓子を大量に買ってみたり、我ながらおかしかった。。。

 

当時は自分もまだ病気を受け入れられず、なぜ発症したのかを考え、基本的には根治しない、というコンセプトを受け入れられずにいた頃。辛かったのは、病気が治らないものである、と知らない友達や家族が、良かれと思ってかけてくれた、すぐ治るよ!という言葉に一々傷ついていたこと。私は病気の説明をしているつもりでも、相手にとっては愚痴に聞こえてしまったかもしれず、相手も恐らく何を言って良いか分からず、会話の空気が重たくなってしまったこと。自分が今感じている気持ちは、究極的には同じ病気になった人にしか分からず、むやみやたらに誰にでも理解してほしいと思ってはいけないのだ、と思ったこと。日々大きな疎外感と孤独感を感じていました。

 

治療が長期にわたり、発現する副作用も治療が進むにつれて変わり、副作用の出方も個人差もある、となると少し先の未来の予測が難しくなります。段々自分はこのまま何もしない方がいいかなぁ、とか、Maxで働けず迷惑かけるなら思い切って状況を変えた方がいいのかなぁ、等等とぐるぐる考えていました。この頃は0か100かの思考になっていました。

 

今でも治療を始めたばかりで正直先のことはよく分からないのですが、減薬してみないとその時々の辛さもわからないし、結局手探りで日々自分の身体をケアし、先のことは考えすぎない、というスタンスでいいのかもしれない、と思えるまで、2ヶ月ほどかかりました。

 

と、発症直後までの自分のメンタルについて書いてみましたが、多分今後も治療を進めていくにつれて考え方も病気との付き合い方も変わっていくのだろうと思います。その推移についても、記事に残して定点観測できるといいなぁ。